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2015年にブラジルで大発生し、今も感染が拡大しているジカウイルスは、さまざまな神経障害を引き起こすようだ。胎内で感染した新生児の小頭症もその一つ。頭が異常に小さく、脳の発達が遅れるまれな先天性障害である。
蚊の遺伝子を操作して、感染症を媒介しないようにできないか。米カリフォルニア大学アーバイン校の分子遺伝学者アンソニー・ジェームズはこの課題に取り組んできたが、おおむね理論的な研究にとどまっていた。だが、CRISPR-Cas9(クリスパー・キャス9)と呼ばれる革新的な遺伝子改変技術と、特定の遺伝子を子孫に伝えやすくする「遺伝子ドライブ」という技術の登場で、事態は一変する。両者を組み合わせることで、理論はにわかに現実味を帯びてきた。
クリスパーを使えば、ヒトを含めたほとんどの生物のゲノム(全遺伝情報)を迅速かつ正確に、望み通りに編集できる。DNAの部分的な書き換えや削除を容易にする、まったく新しい道具を人類は手に入れたのだ。
■あらゆる難病の治療に期待
クリスパーというゲノム編集技術が登場したおかげで、ここ3年ほどで生物学は様変わりした。すでに世界中の研究者が、この技術を利用して遺伝性の難病である筋ジストロフィーや嚢胞(のうほう)性線維症、あるいはB型肝炎といった病気の予防や治療の研究を進めている。クリスパーでエイズ患者の細胞からウイルスを消滅させる実験も行われ、将来的にはエイズを完治させることも夢ではなくなった。
臓器移植の分野では、ブタの臓器を人間の患者に移植できるよう、クリスパーを使って臓器からウイルスを除去する研究が進んでいる。ほかにも絶滅危惧種の保護や、作物の品種改良など、クリスパーを応用した研究は多岐にわたる。クリスパーで害虫に耐性をもつ作物を開発できたら、農薬を大量に散布する必要もなくなるだろう。
過去100年間、科学は多くの発見を成し遂げてきたが、クリスパーほど大きな可能性を秘めた発見はほかにない。と同時に、これほど厄介な倫理問題を突きつける発見もない。とりわけ大きな議論になっているのは、人間の精子や卵子など、次世代に引き継がれる遺伝物質を含んだ生殖細胞に対してクリスパーを使う試みだ。遺伝的な欠陥を修正するにせよ、望ましい性質をもたせるにせよ、こうした試みを行えば、改変された遺伝子が代々受け継がれていくことになる。その結果、何が起きるのか。現段階で十分に予測することは不可能とは言わないまでも、非常に難しい。
「さまざまな活用例が見込める素晴らしい技術ですが、生殖細胞の遺伝子を操作するなど、重大な影響を及ぼす実験を行うなら、どうしてもやらざるを得ないという強固な理由が必要です」。そう警告するのは、米国のハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(MIT)が共同で設立したブロード研究所の所長で、ヒトゲノム解読プロジェクトを率いたエリック・ランダーだ。「社会がそれを選択したのでなければ、やってはいけません。幅広い合意が大前提だということです。科学者の間でも見解は固まっておらず、こうした問題に答えられないのが実情です」
■切断すべき遺伝子を正確にガイド
クリスパー・キャス9は、二つの要素から成る。一つは「キャス9」と呼ばれる酵素で、細胞内ではさみのような働きをして、DNA(デオキシリボ核酸)を切断する。この酵素は自然界に存在し、細菌がウイルスのDNAを切断して無害化するために使っているものだ。もう一つの要素は「ガイドRNA(リボ核酸)」と呼ばれるもので、切断すべき遺伝子を見つけて、キャス9に知らせる役割をもつ(ちなみに、クリスパーは「クラスター化された、規則的な間隔を置いて繰り返される短い回文型の反復配列」という意味の英語の頭文字をとった略称)。
ガイドRNAの正確さは驚異的だ。ゲノムは数十億もの塩基で構成されるが、その中のどの部分でも、ほかの塩基配列と入れ替えられる。ガイドRNAが目的の場所に到達すると、キャス9が標的の配列を切断する。この切断箇所には、クリスパーとともに送り込まれた塩基配列が挿入される。
プエルトリコではジカ熱の集団発生が収まるまでに、全人口350万人の4分の1以上がジカウイルスに感染するとみられている。だとすれば、何千人もの妊婦が感染することになる。
今のところ、ジカ熱の有効な予防策は殺虫剤の大量散布しかない。ジェームズらはそれよりはるかに優れた方法として、クリスパーで蚊のゲノムを編集し、改変した遺伝子を集団全体に広げる研究を進めている。そのために使われるのが、遺伝子ドライブだ。
遺伝子ドライブは、改変した遺伝子を通常よりも高い確率で子孫に伝えるための技術である。有性生殖を行う動物は1対の遺伝子を父親と母親から1個ずつ受け継ぐ。つまり、親の遺伝子が子に伝わる確率は50%だ。ところが、遺伝子のなかには、50%を超える確率で子孫に伝わる性質をもつ「利己的な」遺伝子がある。クリスパーを使ってこうした遺伝子に有益な性質のDNA配列を付加し、改変した個体を野生種と交配させれば、理論上は野生種の遺伝子を書き換えられるはずだ。遺伝子ドライブとクリスパーを組み合わせれば、一つの集団のあらゆる個体に、ほぼ望み通りに有益な性質をもたせることができる。
(文=マイケル・スペクター、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2016年8月号の記事を再構成]
http://www.henshikou.com/blog/blog_20190402_7
病気の予防や原因の解明などのため、大学病院などで行われる臨床研究。幅広く患者らの参加を募るため、スマートフォン(スマホ)のアプリ活用が広がっている。病院などに足を運ぶ必要があったこれまでと違い、「いつ、どこからでも」参加できるのが特徴だ。健康にまつわる膨大な情報を解析することで、脳梗塞の早期発見や糖尿病の改善・予防などに生かせると期待される。
■料理撮って送信
「パシャッ」。神奈川県厚木市の会社員、芳賀恒之(52)さんはレストランでiPhone(アイフォーン)を取り出し、目の前に並んだ料理を撮影した。6月から食事のたびに写真を撮るのが日課だ。アプリ「グルコノート」で料理全体の画像から1品ずつ指定し、検索機能で該当するメニューを選ぶとカロリーが自動的に表示される。
芳賀さんが参加しているのは、東京大学が糖尿病とその予備群を対象に3月に始めた臨床研究。アイフォーンでアプリを無料でダウンロードし、同意書にサインすれば参加できる。毎日、体重や血圧、血糖値(任意)を測定して入力。歩数や食事の記録と一緒に送る仕組みだ。
治療ではなく研究が目的のため、診断はしない。だが記録した内容は評価され、例えば食事では「食物繊維が目標値に達していない」などとコメントが表示される。自己管理に役立てることができる。
2007年に糖尿病と診断された芳賀さんは体重と歩数、睡眠時間は記録したことはあったが、「料理まで記録するのは初めて」。日々の食事内容を見ながら「『今日は少し量を減らそう』などとフィードバックできるのが利点」と話す。
研究にはこれまでに600人弱が参加した。研究責任者の東大の脇嘉代特任准教授は「開業医にかかっている人も含め幅広いデータ収集が可能で、糖尿病の進行と日常生活の関係をより詳しく調べることができる」と期待を寄せる。アプリを使った食生活や運動に対する指示が血糖値のコントロールに結びつくといった実績が積み上がれば、医療機器としての承認も目指すという。
臨床研究は病院に通院している患者らに頼んで参加してもらうのが一般的で、参加者は限られた。ただアプリを使えば地域を選ばず参加を呼び掛けられる。参加者も病院に足を運ぶことなく、仕事の合間や自宅にいるときなどに情報を送ることが可能。アプリが臨床研究の姿を変えつつある。
昨年11月、不整脈や脳梗塞の早期発見を目的に、国内で初めてアプリを使った臨床研究を始めた慶応大学。グループの木村雄弘特任助教は「従来は100人にアンケートするだけでも大変だったが、今回はすでに参加者が1万人を超えた。情報収集に関しては革命的だ」と驚く。
活用するアプリは「ハート・アンド・ブレイン」。参加者は不整脈や脳梗塞にからむ質問や、喫煙、息切れなどの有無について答える。さらにアイフォーンを左右の手のひらそれぞれに載せて目を閉じ、水平状態からの傾きなども測って送信。普段、診察室で行う運動評価検査さながらだ。
まだデータ収集の段階で、詳細な分析や役立ててもらうための情報提供はこれから。木村特任助教は「成果を参加者に還元する方法を考えなければ」と話す。
■脈のゆらぎ管理
脈と脈の間隔のばらつき(脈のゆらぎ)を自分で管理・記録できるアプリも登場した。不整脈と生活習慣の関係を調べるため東京大学の藤生克仁特任助教が開発した「ハーティリー」。4月半ばに臨床研究を始め、5000人が参加した。
1日1回、1分ほどスマホに指を当てて脈拍を記録、1~2週間ごとに動悸(どうき)の有無の質問に答える。脈拍の情報とスマホに記録される運動量などを組み合わせて解析する。
脈のゆらぎが大きいと、不整脈の一つで心臓の心房という部分が小刻みに動く心房細動の可能性がある。心房細動は脳梗塞の原因の3割を占めるという。藤生特任助教は「不整脈はいつ出るか分からず、症状があまり出ないケースもある。健康診断の心電図だけでは見つけるのは難しく、日々のチェックが必要だ」と指摘する。
◇ ◇
■アップルの公開ソフト活用 データの信頼性課題
臨床研究を始めるには、大学などそれぞれの倫理委員会の承認を得て、参加者からは「インフォームドコンセント」と呼ばれる同意書を取る必要がある。スマホのアプリを使った臨床研究では、アップルが公開した「リサーチキット」という仕組みが使われる。
参加者のデータは個人情報なので、匿名化して研究者のもとに送られる。病院などの場で本人からデータを集める通常の臨床研究と違い、アプリでは別の人が情報を提供しても見抜くのは難しい。データの客観性や信頼性をどう確保するか。スマホ内蔵のセンサーで測定されたデータの精度も含めて課題はある。
アプリを使った臨床研究は2年ほど前に米国で始まり、日本は昨年11月にスタートしたばかり。手探りの状態だが、日米英など30大学弱がアプリを開発し、研究に乗り出している。パーキンソン病や自閉症、ぜんそく、C型肝炎、慢性閉塞性肺疾患(COPD)など研究対象は多岐にわたる。
(西山彰彦)
[日本経済新聞朝刊2016年7月24日付]
http://www.henshikou.com/blog/blog_20190402_8
間もなく夏休みシーズン。海外へ旅立つ人はぐんと増える。その前後に診療し、健康上の指導や感染症治療にあたる専門外来が「トラベルクリニック」だ。開設は全国約90施設に広がったが、受診するのは企業の海外赴任者が多く旅行者はまだ少ない。周知のほか、習熟した医師の養成は途上の段階で、「海外へ行く前に受診」が定着するには時間がかかりそうだ。
「ジカ熱が流行しているので都会でもなるべく蚊に刺されないように注意してください」。東京都新宿区の東京医科大学病院7階にある「渡航者医療センター」の診察室。濱田篤郎センター長は都内の男性会社員(58)にこう助言した。
男性はブラジル・サンパウロ出張を控え、現地の感染症事情や打つべきワクチンについて相談。水や食べ物から感染するA型肝炎ワクチンを2回に分けて接種し、狭心症など持病について記載した英文診断書を書いてもらった。男性は「ジカ熱対策など適切に指導され、安心できた」と話す。
トラベルクリニックの役割は(1)ワクチン接種(2)渡航先の感染症や医療事情の情報提供(3)マラリア、高山病などの予防内服薬の処方(4)帰国後に症状のある人への診療――などが一般的だ。
■学会が開設支援
近年、SARS(重症急性呼吸器症候群)やエボラ出血熱など海外で感染症が相次ぎ流行した。このため日本渡航医学会(東京)は2011年から「トラベルクリニックサポート事業」を展開。「開設マニュアル」作成や、先行施設での見学者の受け入れで運営ノウハウを伝えている。
同学会によると、病院と診療所を合わせ現在、32都道府県の92カ所が開設。この事業以前に比べ2倍に増えた。1カ所もない県もあり引き続き普及に努める。
支援を受け九州大学病院(福岡市)は11年、グローバル感染症センターに「渡航外来」を設けた。商用で出張・赴任する会社員とその家族が利用の約半数。同センターの豊田一弘助教は「福岡はアジアの玄関口。渡航先は東南・東アジアが6割を占める」と話す。
ワクチン接種は原則、公的医療保険がきかない自由診療だ。九大病院ではA型肝炎は8100円、破傷風は4000円、狂犬病は1万5000円などと設定している。
■医師向け研修行う
1960年開設の日比谷クリニック(東京・千代田)には海外への赴任・旅行者が1日120人ほど訪れる。移転で規模を拡大した08年に比べ、約10倍に増えた。約250社とは社員受け入れで契約している。
渡航後の健康管理も支援する。約2年前から契約企業の社員の予防接種歴や病歴、アレルギーの有無などを一括管理。赴任先の医療機関に提供している。健診を受けられる場所が少ない国なら施設を探して予約も代行する。国際電話でメンタルヘルス相談にも応じる。奥田丈二院長は「食事などが合わず体調を崩す人は多い。渡航中のケアも非常に重要」と指摘する。
ただ企業が費用を負担する場合が多い海外赴任者と違い、旅行客の利用は少ない。東京医大病院渡航者医療センターと東京検疫所が2月に羽田空港国際線ロビーで調査したところ、「渡航先の健康問題や病気などの情報を入手した」のは約18%、ワクチン接種を受けたのは約5%にとどまった。帰国後に受診する短期渡航者は1割程度との調査結果もあり、渡航前後に3~5割が医師に相談する欧米各国との差は大きい。
感染症の診断・治療経験がある医師が少ないという課題もある。感染者が検疫をすり抜けると国内で2次感染が起きる恐れがあるが、感染症の発熱を風邪などと誤診することがある。
このため国立国際医療研究センター(東京・新宿)は04年から全国の医師を集めた研修を開催。予防接種や海外の感染症などについての講習会を計18回開き、参加者は延べ約1500人に達している。
◇ ◇
■赴任者の増加が背景
トラベルクリニックは欧米で1960年代に始まった。海外旅行が急増した70年代に各国で広がり、国民への周知も進み旅行前に健康指導を受ける習慣が根付いていった。
一方、日本ではこうした旅行医学の流れは、企業の海外進出に伴う駐在員の健康対策をきっかけに生まれた。東京医大の濱田篤郎教授は「駐在員、家族など海外の長期滞在者は70年代初頭は7万人程度だったが、70年代末には2.4倍に増えた。現地での健康問題が企業の大きな課題となった」と説明する。
その後、円高などを背景に海外旅行がブームとなり、出国者数は90年に1千万人を突破した。企業の進出も加速し、89年には社員が海外に半年以上滞在する場合、赴任前後に健康診断を受けさせることが義務付けられた。海外で感染症にかかる人が急増したため、2005年には旅行業法を改正。旅行業者は顧客に現地の安全衛生情報を提供することが必要になった。
(編集委員 木村彰、吉田三輪)
[日本経済新聞朝刊2016年7月17日付]
http://www.henshikou.com/blog/blog_20190402_9
発熱や頭痛など風邪に似た症状から始まり、重症化すると意識障害やけいれんなどが起こり、命にかかわることもある「髄膜炎」。子供の病気と思いがちだが、大人も決して油断できない。国際化とともに感染する機会も増えている。仕事や観光、留学などで海外の流行地に行くときは、ワクチンで予防することも重要だ。
髄膜炎は、脳と脊髄を覆う髄膜に炎症が起こる病気。細菌感染による「細菌性髄膜炎」とウイルスなどによる「無菌性髄膜炎」に分けられる。重症化しやすいのは前者の細菌性で、原因となる菌は多数ある。代表的なのが肺炎球菌やインフルエンザ菌b型(ヒブ)、髄膜炎菌だ。
このうち、肺炎球菌やヒブによる髄膜炎は小児に多く、予防のためワクチンの定期接種が実施されている。国立成育医療研究センター感染症科(東京・世田谷)の宮入烈医長は「いずれもワクチンの予防効果で患者数は減っている。厚生労働省研究班の報告では、定期接種前より、肺炎球菌が原因の髄膜炎の割合は61%減、ヒブによる髄膜炎は98%減少した」と話す。
■大流行の恐れも
一方、髄膜炎菌による感染はこれらに比べるともともと発症数が少なく、菌自体の認知度も低い。だが、国立感染症研究所感染症疫学センター(同・新宿)の砂川富正第二室長は「髄膜炎菌は感染力が強く、大規模な流行を起こすことがある。海外との交流が増すにつれ、今後は患者数が増える可能性がある」と注意を喚起する。
髄膜炎菌はせきやくしゃみなどで、人から人へうつる。何の症状も無い健康な人の鼻やのどから検出されることもある。その髄膜炎菌が、本来細菌が存在しないはずの血液や髄液中に侵入して起こる感染症が「侵襲性髄膜炎菌感染症(IMD)」だ。髄膜炎の中でも、進行が非常に速く、重症化しやすい。世界保健機関(WHO)の報告では、発症から2日以内に5~10%の患者が死亡するという。
発熱や頭痛、吐き気など風邪に似た症状から始まり、続いて首の硬直や皮下出血、けいれん、意識障害などが起こる。首や頭を動かすと髄膜が引っ張られ、耐え難い痛みを感じることも。
宮入医長が以前、米国で診た患者は「風邪のような症状が表れてから半日もたたないうちに意識障害に陥り、集中治療室に運ばれた。手足の細胞が死ぬ壊死(えし)が進み、結局、手指を切断することになった。もう少し遅かったら命も危なかった」という。
治療は抗菌薬を点滴などで投与する。患者の周囲にいて感染の可能性がある人にも予防的に投与することが多い。
■5人に1人死亡
日本では2013年4月から翌年12月までの間にIMDに59人がかかり、うち11人が死亡した。致死率は約19%、つまり5人に1人が亡くなっている計算だ。「海外では乳幼児と青年の発症が多いが、日本では若年層を含め幅広い年代に見られる」(砂川室長)。最も多い世代は50、60代で、男性が目立つ。
集団発生も起きている。11年5月、宮崎県の高校の学生寮で5人が感染、うち1人が死亡した。昨年夏、山口県に162の国・地域から約3万人が集まり開かれた世界スカウトジャンボリーで、海外参加者の中から帰国直後に感染者が出た。
ザ・キング・クリニック(東京・渋谷)の近利雄院長は「IMDの感染は共同生活や集会など、多くの人が集まる場所で起こりやすい。国境を越えた人の往来も感染機会を増やす」と話す。海外ではアフリカ中部をはじめ、中国やインド、北米、南米、ヨーロッパなどに流行地がある。
予防に有効なのが、ワクチンの接種だ。たとえば「米国では10代のときにワクチンの定期接種を実施し、学生寮に入る大学新入生や留学生にも接種を義務づけている」(近院長)。
日本でも昨年5月から「髄膜炎菌ワクチン」を接種できるようになった。ただし任意接種で、1回2万円前後の費用がかかる。1回打てば約5年間、予防効果がある。仕事や観光などで流行地に行く人、海外留学する人などはワクチンを接種しておいた方がいいと専門家は口をそろえる。「ブラジルも流行地の一つ。8月のオリンピックに行く人も検討した方がいい」と近院長。
4年後には東京オリンピックが開催され、世界各国から大勢の人が日本を訪れる。今後はこれまで以上にIMD対策が必要になりそうだ。
◇ ◇
■接種は出発2週間前までに
髄膜炎菌ワクチンは、細菌の毒性をなくした不活化ワクチン。接種後、注射を打った部位の発赤やうずく痛み、筋肉痛、だるさ、頭痛などが出ることがあるが、数日で消える。「輸入ワクチンも含め、11年前から使っているが安全性に問題はない」と近院長。流行地に渡航する場合は、最低でも出発の2週間前までには受けておきたい。
主な接種対象者はビジネスマンや旅行者、留学生、医療従事者、中東への巡礼者など。近年は渡航者の増加で接種者が急増しているという。「今夏ブラジルに行く人は髄膜炎菌の他にA型肝炎や腸チフス、旅行者下痢症のワクチン接種も検討してほしい」(近院長)
(ライター 佐田 節子)
[日経プラスワン2016年7月2日付]
ケガなどで出血したときに止まりにくい病気に血友病がある。血液を固めるたんぱく質「血液凝固因子」が生まれつき足りない。手足で出血を繰り返すと関節が変形してしまう。遺伝子の異常が原因で治ることはないが、たんぱく質の補充で普段通りに生活できるようになってきた。たんぱく質が血中にとどまる時間を延ばす新薬が2015~16年に相次ぎ登場しており、投与回数が減るなど患者の負担軽減につながりそうだ。
30代のAさんは、息子の手や膝に青あざが多いのを気にかけていた。1歳になって尻もちをついたとき、お尻に大きな血の塊ができた。慌てて小児科に駆け込んだ。血液検査の結果、「血友病A」と診断された。
◇ ◇
血管が傷つくと、ふつうは「血小板」という血液中の成分が集まって穴をふさぐ。次に「血液凝固因子」が働き、傷ついた部分にふたをして出血が止まる。血友病のうち血友病Aは血液凝固因子の「第8因子」が足りない。「第9因子」が不足する「血友病B」もある。国内にはAが約5000人、Bが約1000人の患者がいる。大半が男性だ。
血液凝固因子が体内で働かないほど症状が重い。重症の血友病患者では働く血液凝固因子が1%未満という。血液が固まらないと、筋肉や皮膚の下など様々な部位で出血を起こす。足や膝の関節で出血を繰り返すと、関節の内側にある膜に炎症が起こり、関節が変形してしまう。痛くて歩き方がおかしくなり、曲げ伸ばしも難しくなる。一度出血した関節は、出血を繰り返しやすい。
転ぶなどしなくても体内で出血し、見た目には異常が分からない人も多いという。頭蓋内に出血を起こした新生児や乳児の8割超が重症の血友病だったとの報告もある。出血箇所や出血の量が多くなると頭痛や嘔吐(おうと)、けいれん、意識障害などが起こる。後遺症も出やすい。
治療は、病院や家庭で足りない血液凝固因子を注射する方法が一般的だ。出血したときにやる場合と、ふだんから予防のために投与する場合がある。運動会や修学旅行、遠足などケガが心配な行事の前に注射したり、週に数回、定期的に補ったりと人によってやり方は様々だ。
治療ガイドラインには3年前に定期補充療法が加わった。7割を超える重症の血友病Aの患者が定期補充している。どの方法や薬を選択するかは「患者のライフスタイルや状態で変わる。投与量や投与回数は個人によって異なる」(荻窪病院の花房秀次理事長)。例えば子どもの学校生活を考えたとき、サッカー部と吹奏楽部の生徒では出血が起こる可能性が違う。
◇ ◇
薬は、ヒトの血漿(けっしょう)からできた成分と、遺伝子を組み換えて動物の細胞に作らせた成分の2種類がある。16年に登場した血友病Aに対する新薬は、従来の遺伝子組み換え成分を工夫し、血中で分解されにくくした。既存薬では週3~4回の投与が必要だったが、新薬は週2回ですむという。
家庭での補充療法は乳幼児は両親が注射するが、患者の多くは小学5年生ごろになると自分で注射を打つ練習をする。スマートフォン(スマホ)や手帳で出血記録をつける。
日本は先進国の中でも血友病の診断が遅れ、血液凝固因子の働きが5~40%未満にとどまる「軽症」は「ほぼ見過ごされている」(花房理事長)。軽症の人では、生活習慣病を抱える40歳ごろを過ぎてから脳出血や消化管出血で重症になるリスクが高まるという。
血友病を巡っては過去には、治療用に使っていた非加熱濃縮製剤によるC型肝炎やエイズの感染が社会問題になった。いまは、体に入れた血液凝固因子を異物として攻撃する患者自身の拒絶反応が問題になっている。異物がくると、免疫機構が抗体を作って追い出そうとする。止血の効き目が悪くなる。一度に大量の血液凝固因子を投与すると抗体ができやすい。定期投与で、免疫の攻撃を鎮めるという。
新薬や投与法のノウハウが蓄積し、「今は出血がない人生が送れる時代になった」と花房理事長は話す。患者の生活も変わった。体育の授業を毎回見学していたころとは違い、柔道の授業にも参加できるようになってきた。
病気への理解も進むが、社会の対応にはなお課題が残る。今も血友病患者の受け入れに慎重な保育園や幼稚園は少なからずあるという。万が一の出血に不安があるとみられる。このような場合、病院と保育施設が連携し、すぐに連絡が取れる体制を整えて、患者を受け入れた例が参考になる。患者だけでなく周りも正しい知識を身につけてサポートしていきたい。
◇ ◇
■患者のほとんどが男性 女性に月経過多のリスクも
血友病の患者はほとんどが男性だ。血液凝固因子に関わる遺伝子が「X染色体」にあるためだ。X染色体は性染色体の一つで、X染色体が2つそろうと女性、X染色体とY染色体だと男性になる。X染色体に異常がある男性や、異常なX染色体を2つ受け継ぐ女性が発症する。遺伝子の異常は、両親から受け継ぐ場合もあれば、突然変異でなる場合もある。
片方のX染色体に異常がある女性は「保因者」という。一方のX染色体が正常ならば、健康な人と同じと考えられてきた。
ただ、近年の研究で保因者の約3分の1が月経過多や鼻血の多さ、産後出血を経験していることがわかってきた。
保因者かどうかは家系調査や血液凝固検査のほか、遺伝子の解析で診断できる。ただし、血液凝固検査は確定診断はできないという。
保因者は血友病の男児を出産する可能性があるが、受精卵の遺伝子を調べる診断は認められていない。
乳児が血友病の場合、お産のときに吸引分娩や鉗子(かんし)分娩で頭蓋内出血を起こすリスクが高まる。より安全な方法として帝王切開を勧める医師もいるという。
患者や家族、保因者の価値観や倫理観はさまざま。知る権利もあれば知りたくないという人もいる。
遺伝子まで調べるかどうかは意見が分かれそうだが「自身の血液凝固因子の働き具合は知っておいた方がよい」(国立病院機構大阪医療センターの西田恭治医師)と話す専門家もいる。
(藤井寛子)
[日本経済新聞朝刊2016年7月3日付]
http://www.henshikou.com/blog/blog_20190402_11